小説書こうよ!BL小説の書き方
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濡れ場は心理描写。執筆中にかかる『この話面白いのか?病』について

濡れ場を心理描写としてとらえた例

  •  そう、そうなのよー。行動イコール心理状態、という表現ができる、すっごいシーンなのよー、濡れ場って。
     いや、行動と心理状態をイコールで表現できるのは、べつに濡れ場のシーンだけというわけではないんですよ。素直な性格の子が、大好き! と思っている相手を甘やかしたり、優しくしたりするのも、行動と心理が一致している表現ですよね。
     だからそういう視点で見たら、小説は最初から最後まで行動によって心理状態を表しているわけですが、濡れ場はそれがより顕著に、濃厚に描ける機会である、ということです。
  •  まあまあまあ、考えてみて!?
     たとえば男性妊娠可能な世界(ちょっと突飛な設定ですけど最近流行ってるし、他に例が思いつかなかったから許して……)の話で、事情があって仕方なく愛のない契約結婚した二人、を書くとするじゃない?
     この設定みんな好きだよね!?(暴論) 私も好き!(素直) 百万冊読みたい!(強欲)
  •  二人は愛し合って結婚したわけじゃないから、当然新婚生活はよそよそしい状態でしょう。
     でも例えば家のために子どもだけは作らないといけないから、定期的にエッチします……みたいな内容だとして。
     その場合の初夜は、やることはやるけど、心は伴ってないから、最中の描写としては義務感ゆえのやり方みたいに書けますよね。ところどころに素っ気なさとか、ぎこちなさが出るでしょう。前戯はあるけど、早く終わらせたがってるなと分かる、とか。
  •  例えば、攻めも受けもさっさとこの義務を終わらせたいと思っている場合、
  •  攻め(仮称)は濃厚なキスを繰り返し、じれったいほどに何度も愛撫を繰り返した。

  •  よりは、
  •  攻め(仮称)は「お前も早く終わらせたいだろう」と言うと、おざなりな愛撫のあと、すぐに後ろへと入ってきた。

  •  のほうが、行動としてはしっくりきます。(攻めがどんな相手であっても丁寧にしか抱かない、という信条の持ち主なら、一つ目の例文のような行動をとると思いますし、そうするとそれはキャラだての文章になりますが)
  •  でもこの二人がなにかしら(最初の濡れ場もなにかしら、に入ります)を経て、愛し合うようになるとする。でもまだお互いに自分だけが相手を好きで、相手は自分のことを契約相手としか思っていない、とすれ違っている状態での性描写は、一回目の描写とは変わりますよね。
  •  攻めも受けのことが好きになっていて、でも自分の気持ちは抑えているから、一回目より大切に扱うだろうし「今だけでも」とか「自分のことを見てほしい」とか、そういう気持ちの滲んだ行為になるはずです。
     受けのほうも、「触れられて嬉しい」と感じたり、思ったよりも大切にされて、「初めてのときと違う」と戸惑ったり、「もしかして相手も自分のことを?」 と期待したりするかもしれません。そんなときの描写は、切なくて甘酸っぱいものになるのではないかな。
  •  以前とは違って、丁寧な愛撫だった。体中をゆっくりとまさぐられ、徐々に性感を高められる。さざ波のように全身に愉悦が広がり、受け(仮称)はそのもどかしさに、体を震わせてしまう。感じていることを知られるのが恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。

  •  とかかな。上の例文と比べると、心理状態が違っているのが分かると思います。
  •  そしていよいよ気持ちが報われて、互いの気持ちが通じ合って、抱き合えるとなったら、今まで抑えてきたものが制御をなくして激しい描写になるかもしれませんし、あるいはもっと甘やかに、二人して溶け合うような描写になるかもしれません。
     そのへんのさじ加減はもちろん、それぞれ自由。
  •  もうこれ以上待てないとでも言うように、攻め(仮称)は受け(仮称)の唇にむしゃぶりついてきた。獣のようなキスだ。性急に衣服を脱がされ……

  •  とか、
  •  二人つながりあった状態で口づけあうと、まるで全身が溶けて一つになるような気がした。攻め(仮称)の大きな手は、受け(仮称)の頭をずっと、優しく撫でていた。

  •  とか、まあ求め合ってるな~、愛し合ってるな~と分かる行動を二人がしている文章を書いてみました。
  •  見ていただくとお分かりかと思いますが、同じセックスでもその二人の心理状態、関係性、性格や価値観が違っていれば、性行為の仕方も変わる、ということです。
     なので、投稿時代の私のように、「読者サービスだから、テンプレートどおりに受けが攻めにキスされて、愛撫されて、挿入されて、絶頂すりゃーいい」で書いてしまうと、そのキャラの心理や状況にそぐわなくなってしまうわけです。
  •  そして、ここで受けくんや攻めくんがとる行動は、読者さんからイコール二人の気持ち、と読まれます。
     本来、悲しい、寂しい、好き、嫌い……こういった心理を行動で描写するとき、ある程度限定的な書き方をしないと伝わりません。
     例えば
  •  雲母は俯いた。

  •  という文章があるとします。
  •  なぜ俯いたのか、前後の文脈から推し量ることはできますが、それはあくまで読者さんの推測に過ぎません。恥ずかしいからなのか、悔しいからなのか、気まずいからなのか、正確に伝わってほしければ、
  •  雲母は自分の考えが恥ずかしくなって俯いた。

  •  のように、俯いた理由を限定して書かないとなりません。
  •  ですが、性描写のシーンは行動描写を詳細に説明しなくても、まるっとまるごと心理描写として受け取れる、というシーンであるため、行動だけで心理状態が伝わりやすいという最大級の強みがあるんですね。
  •  例えば、優しく触るなら心の中に優しさが、乱暴に触るなら冷たさがある、と読まれるわけです。わざわざ、なんのためにどういう心情でその行動をとったのか、限定しなくても読者さんに分かってもらえるんですね。 ……これ、伝わってる?
     とにかく、性描写シーンは心理描写のボーナストラックだから存分にメリットを生かして書いてほしい、って話をしておりますぞ。
  •  ところで性描写から入っている小説はどうなの? 前段階がそもそもないが? というあなた。
  •  実はですね~、正直言うと、商業小説で性描写シーンからスタートするのは上級テクのようなんです。
     私は新人のころにやろうとして、担当編集さんに「やるな」と止められたことがあります。
     先ほどあげた「濡れ場を中心に展開する小説」ならそれでもいいのかな? と私は思うんですけど、そうじゃない場合、新人のうちは、きちんとキャラクターを読者さんに分かってもらってから性描写に入るのが得策じゃないかなと思います。
  •  なぜなら性描写から読まされて、感情移入できる人ってなかなかおらんと思うんですよ。
     私の場合は、おーやってんなあ、いいぞ、そこだ! とプロレス観戦の気分から入ってしまいます。もちろん、小説は感情移入が全てではありませんし、プロレス観戦気分で読むのも楽しいですが……。
     でもBL小説はキャラクター小説であり、娯楽小説であり、基本的には心理描写を楽しむ小説なので、読者さんが感情移入しやすいように書くスキルを身につけるほうが、プロとしてはいいのかな~と個人的には思います。
  •  そうなのよ、これはプロでやっていきたい! という人向けのコラムなので……そうすると、とりあえず基本の型ができるようになってほしいと望んじゃうんですね。基本さえ押さえれば、あとは応用で好きにできると思うからなんです。
     実はこれまでも、主人公は受けにしたほうがいいとか、視点は受けに固定したほうがいいとか、感情移入してもらうように書いたほうがいいとか、うるさいことを言っておったのは、先に基本の型を覚えたほうがよろしかろう、という意味合いでした。
     もちろん従う必要はないのですが、ま、よかったら試してみてくれい!
  •  さて感情移入といっても、共感型と理解型があるように思います。
     分かるわ、同じ気持ちよ、と思わせる共感を狙う描写と、気持ちは分からんが、理屈は分かる、という理解型の描写ですね。私はこのどちらをも包含する描写が一番いいと思います。
     共感できる人には共感してもらい、共感できない人でも理解はしてもらう、という書き方です。どうやってそれができるかって? 分からん。(正直なやつ……)
     分からんが、できるだけ丁寧にキャラの心理を描写すれば、ある程度可能になるんじゃないかな~、と私は思って、日々奮闘しつつ書いております。
  •  ところで、私が作ったキャラクター、雲母と要の二人なら、性描写はどうなるのかな、とちょっと考えてみました。雲母と要についてはプロット編をお読みくだされ。
  •  雲母の性格だと、まず間違いなく奥手で慎重だろうし、男とセックス? そんなこと自分に起きるわけない、と考えているでしょう。そもそも女の子との経験もなさそうだし、色恋について考える余裕もない気がします。
     要はモテるのですが内面がわりと繊細なので、童貞でもいいかなと思います。
     彼女は何人かできたけど、派手な見た目に反して中身はつまらない、と言われたトラウマから勃たなくなった……という設定を入れてもいいですよね。
  •  でも二人は同室ですから、ラッキースケベ(たまたま性的接触が起きることを示す言葉、たぶん)展開はほしい。あと大学生という若さなので、若いムラムラ感はあっても可愛いですよね。
  •  たとえば、喧嘩している最中にぶつかって倒れてしまって、キスしてしまう展開を入れるとか。(いにしえのラブコメにはお約束のやつですね)
     そこから要のほうが意識しはじめて、雲母のそばにいると勃ってしまうようになって、「俺、こいつのこと好きなんだ……」と自覚するかもしれませんね。
     要は二人で部屋にいると始終ムラムラしてしまって、雲母への態度がおかしくなる。雲母も途中で性的に見られていることに気づくけれど、なにせ要への劣等感が強い状態じゃないですか。そんな相手が自分を好き? と分かったら密かな優越感が出てきて、セックスをする気も、受け入れる気もないくせにからかったり、自分からわざと接触したりして要の反応を楽しみ、いずれ要を傷つけてしまって、すれ違いや後悔が発生する……とかも面白そうです。
  •  結局雲母も要を好きになり、素直になって告白できたら、雲母の抱えているテーマも解消されそうなんですよね。雲母は自分を受け入れることがテーマの本質にあるので、劣等感を抱いている相手を好きだと認めることって、まず自分自身を受け入れてないとできないと思いますから。
  •  そのへんを考え合わせると、この二人が最後までいたすシーンは思いが通じ合ってからが一番しっくりくるかな~と感じます。
     おそらく初めて同士、ぎこちないけど、微笑ましい触れあいのあと、要がそもそもなんでもできてしまうチートキャラなので、すぐにセックスのコツを掴んで雲母がぐにゃぐにゃにされちゃう! というBLならではの夢のあるファンタジーなどどうでしょう。
     読みたいです、よろしくどうぞ。(お前のプロットだぞ)
  •  つまりは、そのキャラの性格や状況、相手との関係性によって、エロは無限の可能性を秘めている! という話です。
  •  濡れ場を書くときに、この書き方は、キャラの心理描写と符号しているかな? と意識して書いてみるとよいかなと。あと、濡れ場の前と後でキャラがどう変化するのかも念頭に入れて書くとよいと思います。
     ちなみに、濡れ場はそのときそのときの、心理状態のピークのところで迎えるか、劇的に変化するきっかけとして書くことが、私は多いかな。
     みんなのドキドキする濡れ場、楽しみに待ってますよ!

不治の病「この話面白いか?病」

  •  濡れ場についてだけだと文字数が足りないであろうと予測して付け足した、「書いている途中でかかる、この話面白いか? と疑って行き詰まる病」についても、書いていきましょうか。
  •  これはおそらく今日小説を書き始めたという人から、十数年書いていますという人まで、罹患する人は罹患してしまう、不治の病のようなものです。
  •  ですが、原因は一つではなさそうです。
     まず現実的に、「マジで面白くないから行き詰まっている」場合が存在します。
     これは解決法を自分で決めるしかないのですが、なぜ面白くないか、というと、大体、
  • ①キャラがブレている。
    ②話の展開に無理がある。
    ③自分の知識だけでは書けないものを書いている。
     のどれかじゃないかと思います。
  •  私の場合ですが、本当に面白くなくて行き詰まっているときは、物理的に筆が止まるので、ちょっと静止してなにが原因で筆が止まっているのか、考える作業をします。
  •  冒頭から作品を読み直してみたり、キャラの台詞や行動に齟齬がないか、お話のテーマと今書いていることにズレが出ていないかをチェックします。
     やっぱりこういうときに、キャラの葛藤やテーマをあらかじめ決めておくと、解決策が出るのが早いです。
     大抵、「ここでこのキャラがしている行動がなんか変」と気づいて、テーマやそのキャラの抱えるものを考え直して、「こういう行動をするだろう」という方向に修正していきます。
  •  他に、私のやらかしで多いのが、主人公の心情がぼんやりとしたままで頁を重ねているケース。なんとなく書いたつもり、分かったつもりで書き連ねていっても、結局本当には書けてないし、分かっていないから、中盤くらいで行き詰まります。そのときは潔く戻って、主人公の気持ちをつぶさに検証し、このシーンではこう思っている、次のシーンではこう変わる、と一つ一つ主人公の感情を明確化させる作業をします。
  •  もし自分で問題点に気づけなかったら、読んでもらえそうな人に見てもらって、意見をもらうのも一つの手でしょう。担当編集さんがついている方は、担当さんに頼るとよいですよ。編集さんというのは、「読みのプロ」ですから。
  •  ちなみに、軌道修正する作業をまったくせずにそのままプロットどおりに書き切ってしまう、というのも一つのやり方だと思います。
  •  なに、我々には推敲という武器がある。あとで直せるんならそれでいいんですよ。
     まあでも、そうやっていたころの私は改稿の回数が平均五回、多いときは十五回(ゾゾゾ……)でしたから、早い段階で原因が分かって直せるんなら直すに越したことはありません。
     ただ、直すのに時間がかかりすぎていつまでも初稿が完成しない、というときは、ひとまず最後まで書くほうが効率的だとは思います。
  •  それから「書いている途中でかかる、この話面白いか? と疑って行き詰まる病」の原因はもう一つあります。
     これは単純に、不安だからかかっている場合です!
  •  なんか……これで本当に面白いと思ってもらえるか不安……という漠然とした、正体のない気持ち。そこに劣等感や罪悪感などのネガティブな感情が入ってくることもあるでしょう。
     そうした不安感から、モチベーションが下がってしまい、筆が進まなくなるという現象です。
  •  大丈夫。私もプロになって14年目(2023年2月時点)ですが、いまだにその不安に襲われます。
     え? これ、面白いんかな……読者さん楽しんでくれるんかな……と思いながら書いています。そして本が出て褒められても、「ほ、本当にぃ?」と思うこともあります。我ながら面倒くせーやつだ……。いや、大半は素直に受け取ってますけども!
  •  でも不安になるのも仕方ないと思うんです。
      作品を書くという作業は、様々な取捨選択をすることです。
     なにか一つの選択をすると、他の選択肢を捨てることになります。だから、捨ててしまった選択肢のほうが良かったのでは……という気持ちが、心のどこかに不安を生むのだと私は感じています。
     それから多くの人は、自分が書いた作品を「もっとよくすることができた(のにできなかった)」と思うものでしょう。むしろそう思うからこそ、成長する伸びしろがあるとも言えます。
  •  新人のころ、担当編集さんに言われた忘れられない言葉シリーズの一つが、「モチベーションを保つのもプロの仕事」というものです。
     どんな精神状態でも書ける、それがプロだと教わりました。
  •  当時ぎりぎり二十代。まだ気持ちが不安定だった私には、それは重たい課題に思えました。
     そんなこと私にできるのか!? と思っていました。
     でも14年の作家生活を経て、今ではまあまあ、モチベーションを保って書けるようになりました。
  •  と言っても、特別なことはなにもなくて、どんな精神状態であろうと眼の前に仕事があるならコツコツ書く。ただそれだけです。
     昔は、なにかしら「やる気の出し方」みたいなものがあって、それを実践したらモチベーションが上がって、毎日楽しくわくわく書けるのかなと思っていました。
     そういうやり方も世の中にはあるのかもしれないんですけど、残念ながら現在の私は見つけられていません。
  •  かわりに気づいたのは、「書いているうちにやる気は出てくる」ということです。
     初めから溢れるほどのやる気なんて出ません。小説を書きたくない、とかそういう話じゃないですよ。小説は書きたいんですが、毎日の作業になると、やりたくない日もあるし、ムラッ気があるのが人間というものだ、という話です。
     でもやる気がない日でも、とりあえずやり始めて、書いていけば、自然とやる気も湧いてくるものだ、と思うようになりました。
  •  だから不安感が拭えないとき。
     人と比べて自分の作品が駄作に見えるとき。
     生産性のない作業をしているようで罪悪感に見舞われるとき。
  •  私は書くようにしています。小説の悩みは、小説を書くことでしか晴らせないと思ってやっています。
     悲しいかな、それでも無限に悩みは湧くし、私が世界で一番小説が上手いわけでもない。
     それでも、モチベーションアップの方法を探すよりは、とにかく今日、一文字でも一行でもいい。
  •   私は書いた。
  •  その事実のほうが、絶対的に大事であると自分に言い聞かせております。
     不安で筆が止まりかけても、書きましょう! 自信が持てなくて悩むより、まずは最後まで書くのが先。
  •  何度も言いますが、我々には推敲という武器がある!
     あとで直せるんですから、心配せずに書ききってください。
  •  あ、でも体調が悪いとか、本当に気持ちが落ち込んでるとか、そういうときは無理せずに止まってもいいんですよ。
     小説というのは面白いもので、書いていないときでさえ、ひとたび「小説を書くのだ」と選んだ瞬間から、あなたの中に生まれてきて、そして毎日育っているんです。
     あなたの眼で見たもの、耳で聞いたもの、声に出したこと、あらゆる時間を通して、書いてなくても小説は育ちます。
     書けない、という焦りさえも、小説にとっては養分です。
     だからなにもできない時間があっても、その間は自分の中で小説が育っているのだと思って、筆を取れる状態になったら、その育った小説が出てくるのだと信じて過ごしてほしいです。
  •  「書いている途中でかかる、この話面白いか? と疑って行き詰まる病」は、実はそう恐ろしいものではありません。行動さえ起こせば、立ち向かう方法はたくさんあるからです。
  •  うむ!
     今回はいつもよりちょーーーっとだけ短くなる予定だったが、全然長かったぞ! すまぬ!
     さあ次回は、みなさまよくぞよくぞ送ってくれました。いただいた質問にお答えする回となります! おら、今からわくわくすっぞ!(質問を読むのが)!
  •  それでは私には2022年から2023年にジャンプするという重大任務があるのでこのへんで……。(世の中はもうとっくに2023年です)
      それでは次回、お会いしましょう!
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