
2023.04.06 小説が、一冊の本になるまで
- こんにちは、樋口美沙緒です。『小説書こうよ!』も第八回目。残り二回となりましたねえ……。
- シーン。
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はい、そうです、もうネタがありません。(こらこら)
意気揚々と始めたときは、三十回くらい書けそうな気がしてたんだけど、おかしいな。
推敲が終わると、もう特に書けることがねえって第六回目のときに気づいて衝撃を受けちまったんだぜ。
お、俺の技術ってそんなもんだったのかよォ! (そんなもんでした) - そういうわけなので、今回はちょっとエッセイ風味の記事というか、小説が書き上がったあとのこと、つまり原稿が一冊の本になる行程について書いてみようかなと思います。
- が、それだけだと字数が足りなさそうなので(超正直に白状するやつ)、これまであまり外で語ってこなかった、私と小説の歴史についても少し書いてみたいと思います。
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え? 知らんて? いらんて? まあまあそう言わず。 というか、ゆるゆるモードの記事なので、太字になるほど意味のあること、書けるんだろうか……?
不安なのですが、まあ突っ走ってみようじゃないか。
「作りたいから作る」という初期衝動
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みなさんはいつ、なんのために、どうして、物語を書き始めたのでしょうか。
私が一応物語と呼べるものを初めて書いたのは、三歳のときでした。 -
絵を描くこともお話を妄想することも好きだった、三つ子の魂百まで美沙緒。
当時からネクラでインドア派でしたので、家の中で一人遊びにふけるのが大好き、特に絵本を読むのが至高の遊びでした。
自分でも本を作ってみたくて、お絵かき帳の紙をのりでくっつけてページにし、鉛筆だかなんだかでつたない絵と、判読可能だったのか、今では謎すぎる字で、『おべんともって』というお話を書いたのでした。 -
内容は、女の子がお弁当を持ってピクニックに出かける道中、うさぎや猫に話しかけられて、さながら桃太郎のようにどんどんピクニック仲間? が増えていき、最後には海の見える場所へ出て、みんなでお弁当を食べる……という話でした。
ちなみに女の子や動物には体がなく、終始顔だけだったような記憶があります。(シュール) - このとき、私がどうして、なんのためにこのお話を作ったのかというと。
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それは単純に書いてみたかったから、楽しかったから、だったんだと思います。
三歳だったから詳しく覚えてはいないけれど、完成した絵本の最後のページを何度も眺めて満足していたことだけは、くっきりと思い出せる。
そしてその、「作りたいから作る」という初期衝動のままに、それからも、私はお話を作り続けました。 - 今思うと、初期衝動って本当に大事ですよね。
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私には弟がいるのですが、私たち姉弟は物心ついたころから毎年、祖父母の家で夏休みや年末年始を過ごしていました。祖父母は旅行好きで、どんな場所にもマイカーで出かけていました。私たち姉弟もよく連れていってもらっていました。
ですが、お盆休みやお正月休みの車での旅行は、基本的に渋滞を避けられないもの。 - 当時、携帯型のゲーム機もスマホなかったし、車中で本を読むと酔うしで、渋滞中はとにかく暇で暇で仕方なかった。弟が小さかったころは、せがまれて、数時間もの渋滞中、次々にお話を考えて語り聞かせてあげていました。
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弟が特に気に入っていたのが、たこの兄弟のお話、「たこ五郎」シリーズです。
なぜか長男の名前がたこ五郎で、弟の名前がたこ次郎というトンチンカンさでしたが、たこつぼで暮らすたこファミリーのお話は好評で、何度も何度も繰り返し話して聞かせていました。 -
弟は、娯楽のない車中で姉の機嫌を損ねてはならぬ、と無意識に思ったのかもしれません。こんなに面白いお話は他にない、お姉ちゃんは天才だと褒めてくれました。
弟の無邪気な忖度により、幼い私の心の中にムクムクと自尊感情がわき上がり、このあと、少々図に乗っていくことになります。 - 自分の作ったお話で、他人が喜んでくれることの嬉しさに、味をしめた原体験がここにあったかもしれません。
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十歳までの私は、特に求められてもいないのに、近所の小さい子や友だちに、突如としてお手製の本を押しつけるという迷惑千万な子どもになりました。
相手もいきなりお手製の同人誌(手書き)を渡され「これあげる」(ドヤ顔)と言われ、「お、おう……」(困惑)って感じだったでしょう。
すまねえ、あのころの被害者のみんな。 - しかしさすがに二度の引っ越しを経験し、「美沙緒ちゃんのしゃべり方、変」と方言を笑われてからは「やべえ、目立ったら変人だとばれるからおとなしくしとこう」と感じたのでしょう、人様に同人誌(手書き)を配ることはなくなりました。
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かわりに小学四年生くらいからは、家に引きこもってノートにマンガを描くようになりました。
この少しあと、『ロビンソン・クルーソー』を読んだ私は漂流記ものブームを迎えます。『神秘の島』『二年間の休暇』など、似たような本を図書館でかき集めて読んでいました。
こうした本には、大抵漂着した島の地図がつきもの。
チラシの裏に「私が考えた最強の無人島」をいくつも描いては、部屋の壁に貼っていました。
やっぱオタクって小さいころから行動がオタクだよな……。 - 同時に、グリム童話やアンデルセン童話の完訳版をせっせと借りて、何度も何度も読み直していました。これがのちに、ファンタジー小説好きに繋がっていくわけですが、それはまた別のお話。
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さて、人に作品を見せなくなってからも、心の奥には肥大化した自尊感情が残っていました。私の物語は面白いはず、という根拠のない自信です。
(まあでも創作するにあたって、根拠のない自信って大事なんですけどね) -
そしてその自信に拍車をかけるできごとが、中学一年生のときに起こります。
夏休みの宿題で、エッセイを書けというお題が出たので、私は例年どおり祖父母の家で過ごしながら、そのとき書きたかったものを楽しく書いて提出しました。
内容は詳しく覚えていませんが、祖父母宅の近所にあった、小さなお社「たんのみや」について書いたような気がします。 -
はたして夏休み明け、私は国語準備室に呼び出しを食らいました。基本的に優等生だったので、なにを怒られるのだろうとびくついていたのですが、当時の国語教師だったT先生から「樋口さん、小説書かない?」と言われたのです。
あなたには、小説が書けると思うと。 - パンパカパーン! パンパンパンパーン!
頭の中で祝砲があがった瞬間です。
なにせ十二歳の女の子が、国語の先生から小説を書けと勧められるんですよ。
ドラクエなら、あなたがロトの末裔ですと言われたようなものです。(?)
俺は聖剣エクスカリバーを抜いたのだ! 選ばれし勇者なのだあ!
たぎりましたよね。 - ……先生、大大大感謝してますが、ちょっぴり、ちょっぴりだけ、お恨み申し上げます。
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自分が天才だとおおいに勘違いした私は、なんとその日即座に短編小説を二本書き上げ、あろうことかクラスメイトに読ませたのです。
それも、仲良しの子にだけ秘密で、とかじゃなく、誰でも読んでいいよと回し読みさせたのです。
黒歴史、爆誕。
もしくは、再臨。
またしても同人誌(手書き)配り女になっちまった瞬間でした。 - そのとき書いたのは一般小説でしたが、ファンタジーオタクでしたから普通にファンタジー小説も書き始めました。ノートに手書きでしこしこと(おい、下品な形容詞はやめろって? いや、しこしこってべつに本来は下品な形容詞じゃないからね? 辞書で調べてちょ)書いて、それもフッツーに友だちに読ませてましたね……。
- ヤメロヤメロォ!
- 恐ろしいのは、思春期で色気も出てくるころだったので、ええ……「私の考える最強のカッコイイ男」みたいなのも登場してたし、ヒロインとのドキドキ☆色恋もあった……。天使も悪魔も出てきたし、タイトルは『ダークandライト』とかでさぁ……。なんなら、自分で描いた挿絵もあったし……。
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それをさぁ、クラスでもおしゃれで、青字系ファッション誌とか買ってきて回し読みしているような、いわゆる非オタの友だちに得意げに見せてたんだから、向こうもリアクションに困ってたと思うわ。
美沙緒、小説好きなんだねーと言ってくれてたけど、あれは親切!!
絶対求められてなかったって今なら分かるぞ。
そういう濃度高めの劇物は、同好の士にだけ見せるもんだよ、美沙緒さん!
投稿生活の始まりは
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そんなだったので、学校の図書館司書の先生とはもちろん仲良しでした。司書の先生に勧められて読んだのが、鷺沢萠さんの『少年たちの終わらない夜』(河出書房新社)。
そのころ、まだ児童文学や古典を中心に読んでいた私は、その作品の鮮烈な印象に、衝撃を受けました。しかも鷺沢萠さんは、弱冠十九歳で小説家デビューをしてらっしゃいました。 - 中学生の私は思ったわけよ。
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私も、投稿したら小説家になれるんじゃね? 現役中学生作家現る、とかって、もてはやされたりして? もしかしたら私、天才の可能性もあるし。
今なら、 - なれるかーい! お前そんなに上手くねーから! 天才でもねーから!!! 身の程を知れ!!
- と、突っ込みますが、弟の忖度と国語の先生の気まぐれと、友人たちの危険物はそっとしておこうという配慮のこもった優しさにより、「私、小説、めっちゃ書けてる」と勘違いしていた私は、そこから投稿というものを始めました。
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で、普通に落選しまくりました。
当たり前だのクラッカーですよね。(表現が古い)
投稿先は、バラバラでした。文芸誌に送ったかと思えば、少女小説雑誌に送ったり、思いつきで書いたものを、これまた思いつきのまま送ってました。 -
ちなみにこのころ、親に頼み込んで譲ってもらったワープロのおかげで手書きは卒業し、感熱紙に印字して送っていました。
詳しい方はお気づきでしょうが、感熱紙に印刷して小説を投稿するのはアウトです。その時点で落選します。
でもそれすら知らなかった私は、その後も、作家にもなれず常人にもなりきれぬ、哀れで醜いかわいい我が……じゃねえ、まあとにかく、思いついたら書き、書き上がったら投稿してみる、みたいな生活を続けていました。 - ええい、なんか長いな。ちょっとはしょるけど、いろいろあって当時は特に本気で投稿していたわけではありませんでした。小説の勉強もしておらず、もっぱら面白い本を読んだら、「こんなの書いてみたい!」と真似て書いて、それを無邪気にも投稿していただけなのです。アイタタタタ……恥ずいぜ。
- 本気になったのは、二十二歳をすぎてからです。それまでもBL小説誌に趣味で書いたものを投稿し続けてはいましたが、運が良ければ通るかも、という甘い気持ちで送っていただけです。
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ところが個人的な事情で追い詰められた際、「小説家になれなかったら、私は一生死んだように生きるしかないんだな」と気がついてしまい、本気になりまして。
三十歳までは投稿を中心に生きる、と決めて、本気の投稿生活が始まったわけです。
で、なんとか三十歳になる前に滑り込んでデビューしたのでした。
もがき続けた投稿時代
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投稿時代のなにが辛かったかって、「誰も私の小説を求めていない」という当たり前の現実に向き合わねばならなかったことです。
本気で小説に取り組んでこなかったために、「私、小説、めっちゃ書けてる」という甘い幻想に浸っていられた私が、「クソ下手じゃねーか私」という事実を知り、「今まで褒めてくれた人たちの誰も、読みたくて読んでくれていたわけではない」ということを悟り、「私が書かなくても、誰も困らない」という真実に直面しました。 -
だーれも待っていないのに、私だけが書きたいのです。
私は私の本を置いてくれる書店のスペースを欲していました。でも、そのスペースを確保するために、なにをどうすればいいのか、まったく分からなかった。 - なにせ投稿したものが、なんの評価もされず、「ここが悪い」というダメだしすらもらえずにひたすら落選していくのですから、なにが悪いんだろう? と一人で悩むしかありませんでした。
- そのころは会社員でしたから、帰りのバスの中で突然、悔しさがこみ上げてきて涙ぐんだり、友だちの誘いも全部断って週末はずっと小説を書いていたりと、はたから見れば変なやつ、本人としては追い詰められた手負いの獣状態で過ごしていました。
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暗闇の中をずっと歩いている気持ちだったので、初めて投稿先から手紙が届き、投稿作への批評をいただいたときには、天にも昇る心地でした。
内容は、褒め2、ダメだし8くらいでしたが、それでも嬉しくて嬉しくて拝み、宝物をしまう場所に、そのお手紙をしまいました。 -
「だーれも私に書いてほしいと思ってない」という現実を知っていたからこそ、お手紙に書いてあったダメだしを何度も読み、短所を改善させるべく新たに書いていきました。
当時の投稿ペースは、一ヶ月に中編一本。大体四万字です。
数本送ってもしばらくお手紙はこなかったのですが、ある日お電話がかかってきて、担当編集さんがついた……というわけです。同時にもう一人、同人誌の頒布会場で声をかけていただき、私は神々のお声(編集さんたちのアドバイス)をいただけるようになったのでした。 -
ちなみに、お電話をくれた担当さんに、「なぜ担当についてくれたのですか?」と訊いたことがあります。
担当さんは自分でもどうして電話をかけてしまったのか明確にはわからない様子で 、
「一度目に投稿原稿を読んだときはそう思わなかったのだけど、二度目に読んだとき、文章がよく流れていると思って。それと最近、こちらに投稿されないのでどうされたのかなと気になって……」
と、仰ってました。
真意は分かりませんが、それまでに四本ほど続けて送っていたのを、BL以外の投稿も試し始めたため、べつの雑誌に作品を送るようになって、数ヶ月後のことでした。
なのでお返事はなかったけれど、「あれ? 最近投稿がないな?」と気にかけてくださったんだなと思い、地道な努力が実ったようで嬉しかったです。
どうして商業小説だったのか
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と、まあそんな感じで作家になり、今ではそれなりに本も出していただけるようになったのですが……。
小説を書いてないと生きていけないと言ったって、職業にせずとも趣味で書いてりゃよかったのでは? と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
たしかにそのとおり。
でも、私にとっては、そう簡単な話ではありませんでした。 -
これは言語化が少し難しいのですが……実は二十歳くらいから、私はネットに小説をアップロードしてまして、それなりに褒めてもらえ、それなりにファンのような方もいてくださったんです。
でも、ネットの小説って無料で読めるし、最低限の技術でも、フィーリングさえ合えば好きになってもらえるなと、当時の私は感じていました。 -
もちろん、ネットに小説をあげて読んでもらえることはすごく嬉しいことで、楽しいことで、同じ趣味の仲間たちも頼もしい存在で、私もネット小説をたくさん読んでいたし、一ファンとして憧れていたネット作家さんたちもたくさんいたし、プロ並みに上手い方も存在していました。
でも……。
結局、自分の小説が「上手いのかどうか」をはかるスケールがない、というジレンマを、私はずっと抱えていました。 - 二十二歳を過ぎて、私は自分が、ただ単純に小説を書きたいのではなくて、「上手い小説、面白い小説」を書きたいのだ、「小説の技術」を今日よりは明日、明日よりは明後日、高めていきたいのだ、もっともっと、「小説」というものの真髄に迫ってみたいのだ、という欲求がですね、思いのほか強く、激しく存在している、ということに気づいてしまったのです。
- それを叶えられなかったらもう生きている意味がない、くらいに思い込んでいる自分に直面しました。そして、その衝動を抑えられなかったのですね。なにをどうしても、小説が上手くなりたかったんです。
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そして安易かもしれませんが、「技術を磨くなら、読者がお金を払って小説を買う、商業という場所で書くしかない」と思ったんです。
少なくとも上手い小説、面白い小説のほうが、買ってもらえる機会は多いはずだと。
まあ実際にはそれだけで上手さや面白さの尺度にはなりえず、上手いのに売れないことや面白いのに売れないことは、悲しいかな普通にあります。
それでも、一つの指標程度にはなるはずだとそのころ、信じたわけです。 -
そういうわけで、私は投稿を始めました。小説家になれたら、一定の水準まで技術が伸ばせたという証明だと思っていました。
もしなれなかったら、私自身が抱えている「小説の技術を高められないなら生きている意味がない」みたいな考え方に即した場合、人生終わり、だったわけです。 -
はあ~……作家になれて本当によかった……。
まあちょっと当時の考え方は極端すぎるけどね。なれなくても人生は続いてたと思うよ。 -
正直、こうした激しい衝動は、私の性情というだけなので、プロ作家のすべての方にそういう内的欲求があるとは思えません。ただ私がそうだったというだけです。
だから人がプロになりたい理由は、それぞれにあっていいと思います。
とはいえ、小説書く以外になんにもできることのない私(その小説も天才級ではない)を、社会に野放しにしとくと危うかったろうから、そういう意味でよかったよ。 -
この、「面白いもんを書きたい」「技術を高めたい」という欲求は今もあります。
二十代のころに比べると激しさは落ち着き、どちらかというと「小説を書くという面白みを、隅々まで味わってみたい」という欲求に変わっていますが、本質的には似たようなものでしょう。 -
そして書いた小説が面白かったんだなと思える瞬間は、やっぱり誰かが読んで喜んでくれるときに、強く感じられます。
自分だけ面白ければ満足できるのなら、趣味で書くほうが絶対的に楽しいと思いますし、今でも時折、そのくらいの穏やかな気持ちで創作ができたなら、いかによかったろう……と思います。
上手くなりたいと望みだすと、上はキリがないですから、たまに辛く感じます。
まあでもしょうがねえんだよ。人は他人にはなれねえんだから。 - あなたは、どうして小説を書いていますか?
- 商業の場で書きたいという気持ちのある方は、一度考えてみると作品の軸もしっかりしてくると思うので、自分と対話してみてほしいなあと思っています。
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