
2023.03.02 我々最大の武器、推敲について話そうじゃないか
推敲のレシピ
- 話が前後しますが、推敲をするときにいくつか心がけたいことがありますので、箇条書きにしてみますね。先ほど私がいちいち(重要!)と書いたところとかぶりますが、ご容赦ください。
①寝かせる:初稿を書き上げてから最低でも一日、理想を言えば一週間以上寝かせること。
②印刷:必ず印刷してから、推敲する。
③違和感チェック:理想としてはまず軽く全体を読んで、つじつまが合わないところ、退屈なところ、性急に感じるところなど、読みにくいところをチェックする。(細かいところはあとにして、大まかなところを直す)
④違和感修正:③違和感チェックで洗い出した悪いところを改善するための加筆修正を行う。(エピソードの追加など、大きい修正はここでやる)
⑤音読:もう一度頭から今度は音読する。(加筆修正部分は修正した文章を読む)
⑥意図チェック:一文ずつ、この文章はどういう意図でここにあるのか説明できるかをチェックする。
⑦文章修正・削除:意図を説明できない文章は、意図を明らかにして修正、あるいは削除。(基本的には刷りだしに赤ペンで修正。細かく細かく見ます)
⑧文法・語彙修正:音読しづらい文章は文法間違いがないかチェック。語彙の入れ替え、表記の統一、誤字脱字のチェックなども行う。(ここも赤ペンを入れる。細かく細かく見ます)
⑨反映:赤ペンを入れたものを原稿に反映させる。
⑩繰り返し:再び印刷し、頭から読み直す。キャラクターがたっているか、結末がテーマに沿っているか、チェック。必要なら修正。以降、③~⑩を納得いくまで繰り返す。
-
私の作業を細分化すると、大体はこんな感じかな。
細かすぎるって? そう、細かいんですよ。前にも書きましたが、小説ってこまけぇんです。めちゃくちゃ細かいことを丁寧にやるのが、小説の作業なんですよ。 - ちなみにこの①~⑩の工程は、「自分の書きたいものがなにか、まだぼんやりしている」人向けのやり方です。最初から自分の書きたいものがはっきりしている人は、音読しながら自然と③~⑩の作業を並行してやれるでしょう。逆に自然とできない場合は、なにが書きたいのかはっきり分かっていないかもしれないので、「自分はなにが書きたいのか」を己に問うところから始めてみてください。
-
自分の書きたいものがなにか分かるようになると、推敲を重ねる回数も減らせます。
それではこの細かすぎる推敲過程を、そのプロセスに負けず劣らず細かく見ていきましょうか!
なぜそんなことをするのか、もちろんすべてに「意図」があります。 - まず「①寝かせる」の、最低でも一日寝かせるというのは、書き上げたばかりの脳はわりとヒートアップしていて冷静ではないので、少しでも作品と距離を開けて、より読者目線に自分を近づける、という作業です。
-
商業小説はお客さんあっての作品なので、読者さんが読みやすいかどうか、伝わるかどうかが大事です。作者が完全な読者目線になるのはかなり難しいですが、書き上げてから時間を置けば置くほど、読者目線に近づけます。
なので少しでも時間を空けてから推敲に取りかかってください。 -
それから「②印刷」ですが、なぜ印刷するのかというと。
パソコンやスマホ、タブレットなどの画面上で読むと、なぜか文章のつたなさや粗さに気づきにくいという欠点があるからです。
これはどうしてなのか、正直私には分かりませんが(知ってる方は教えてくだされ)、ただ、印刷して読んだ方が修正点に気づきやすいのは確かなので、プリンターがない方は印刷サービスやネットプリントなどを活用して、どうにか頑張ってみてください。
大変だろうけれど、あなたの小説が美しくなるための一歩です。 - 「③違和感チェック」についてですが、小説巧者は推敲段階ではなく、初稿の段階で書きながら行っている作業でしょう。
私も初稿を書いている最中に、「つじつまが合わないところ、退屈なところ、性急に感じるところなど、読みにくいところをチェック」しているので、推敲のときは飛ばしている項目です。
初稿を書きながら修正(④違和感修正)を進めていることが多いので、私の推敲は基本的には「②印刷」の次は「⑤音読」に進みます。(新人時代は①から順番にやっていましたが) -
どうやって初稿中に「③違和感チェック」の作業をするかというと、私の場合は、書きながら自分の原稿や、自分の心の動きを客観的に観察しています。
書いていることが「書きたいこと」(テーマでもありますね)とずれていると、必ず心の中にもやっとした不快感が生まれます。なので、その時点で一度立ち止まって考え直すわけですが、解決方法が見つからなかった場合、「推敲前にこのあたりを直す」とあらかじめマークしておきます。
これができると、本格的に推敲に入る前にマークしておいた箇所を洗い出して、先に大がかりな加筆修正(④違和感修正)をした上で推敲に入れます。そのため、「③違和感チェック」を飛ばしても大丈夫なわけです。 - が、これは書き慣れていないとなかなかできません。私がすんなりとできるようになったのも、デビューして数年経ったあたりからだったと思います。それまではやっぱり、一度書いてから大まかに直し、それから細かいところを何度でも直していました。
-
なので、書き慣れないうちは無理に初稿の段階から「③違和感チェック」の作業をせず、推敲に入ってから着手することをお勧めします。読み直すときは、小説の本文に注目するだけではなく、自分の心の中に芽生える感情にも注視してみてください。
つじつまが合わないところを読むと、もやっとするかもしれません。
退屈なところを読むと、ぼんやりしてくるかもしれません。
性急なところを読むと、眼がすべる感覚があるかもしれません。
読みにくいところを読むと、難しいものを読んでいる気持ちになるかもしれません。
人によって感じ方は千差万別でしょうが、「ちゃんと書けていない場所を読むと、違和感を覚える」はずです。 - はじめはその違和感が小さすぎて、すぐに気づけないかもしれませんが、毎回、自分の違和感にしっかりチューニングを合わせていくと、だんだん感知能力が高まっていきます。それを繰り返していたら、先ほどお伝えしたように、初稿を書きながら「③違和感チェック」の作業ができるようになります。自分が感じている違和感に、すぐに気づくからです。(たぶん、たぶんそうなのよ)
-
小説は文字の連なりなので、その文字情報だけに注目して、おかしなところや読みにくいところを探そうと思われるかもしれません。でもそれは大変難しいことなんですね。
特に、文章がそれなりに上手いと、人間の脳は簡単に騙されます。
だからこそ、自分の内面にカメラを入れて、小さな不快感や違和感を頼りにする方法が効率的じゃないかな、と私自身は思います。 - もしいつも、なんとなく「上手く書けない」などのもやもやを抱えてらっしゃる方がいるとしたら、声を大にして言いたい。
- そのもやもやは財産です。才能です。なぜなら、その違和感を既に感じ取れる能力があなたにはあるから。自分が本当に書きたいものがなにか、あなたの心が教えようとしてくれている段階にいるから。
-
もやもやを手放してはいけません! おぬし、我になにを伝えようとしておるのか!? と、心の眼を見開いて、しっかりと見つめてください!
はあはあ……なんか伝えるの難しいけど、なんとなく分かりますかね? では、次行きましょうか。 - 「④違和感修正」は「③違和感チェック」の問題点を直していく作業ですね。このとき、尻込みしてはなりませんぞ。
退屈だなあ~と思った部分は、それが例え五十ページあろうと百ページあろうと、必要とあらば、切る! という覚悟で挑んでください。私は三百ページ全部捨てたことが何回もあります。べつに捨てるのが偉いわけじゃありませんが、そのくらい思いきりよくやってもなんとかなるって話なので、恐れずにいきましょう。結構楽しいよ。(本当かよ) - だってさ、捨てたところで痛む腹なんてないのよ。やっぱり必要だった~となったら、あとで戻せるからです。いくらでも戻せるんだからいくらでも削って書き直してください。スクラップアンドビルドですよ。思い切り捨てたことがない人ほど、一回捨ててみたらどうなるんだろう? と試してみるのも面白いと思います。
- 大きな加筆修正をするのが「④違和感修正」ですが、その作業が終わったら、今度は細かい部分を直していきます。それが「⑤音読」~「⑧文法・語彙修正」の作業です。ここは同時進行で構いません。
-
まず原稿を、音読してみる。声に出して読み上げるのはとても大事です。
本文執筆編でも申し上げましたが、小学校の国語の教科書に載っている文章って、びっくりするくらいすらすら読めるんです。
勉強を始めたばかりのかわいい子どもたちが、毎日お家で音読の宿題をするための文章でもあるのですから、読みやすいのは当然なのですが、本当に美しい文章ばかり並んでいます。
音読しやすい文章は、読みやすい文章です。
もし読んでいて詰まったり、つっかえたりしたら、その箇所を数回読み返してください。そうすると自然と、読みにくい理由が分かるはずなので、読み上げるのに易しい文章へと、書き直してみてください。
おめさん、日頃から小説っちゅうもん書いてんだろ? ならそれくれぇ、絶対分かっから! 自信持ってやってみるといいべよ! -
そういえば、既に公開されている『小説書こうよ!』の第三回、本文執筆編。私、例文の中に一つ悪文を書いてしまっているんですよ。公開されてから気がつきました。(アホ)どこか分かります……?
それは、どーん! ここです! 自分には努力以外にできることがないのに、そのことさえ否定してしまったら、ただでさえ不安でいっぱいの心がはち切れてしまう気がした。
-
これのどこが悪いか、分かるでしょうか!?
それは、「さえ」が重複していることです。
そのこと「さえ」否定してしまったら、ただで「さえ」不安で……
のところですね。
このような単純な間違いは、音読していれば防げた可能性があります。 - それとはべつに、私はこの文章自体あんまり気に入っておりません。なぜかというと意味合い的には分かるんですが、ちょっと短くまとめすぎかなと。せっかく雲母の心が分かる大チャンスの場所なのに、小さくまとめちゃっててもったいないし、なんとなく読みにくいです。例文なので、短くしたかったからママとしましたが、本チャンの小説だったら、ここはもっと詳しく、扇情的に書きます。例しに直してみましょうか。元の例文と合わせて、直したところは太字にしてあります。
(努力は実るはずなんだから、絶対大丈夫だ。俺はずっとそう信じてやってきたろ)
雲母は自分にそう言い聞かせた。拳をぐっと握りしめ、気持ちを鼓舞する。とにかくこの番組で優勝するしか他に道はないし、そのための努力を惜しむつもりはない。
けれど心の片隅に、ふと兆す影がある。
……それでももし、努力しても、どうにもならなかったら?
雲母は慌てて、その考えを頭から振り払った。心臓がいやな音をたてている。
(俺には努力しかできることがないのに……)
いつも、いつでもそうだった。人生に暗雲が立ちこめるたびに、雲母はただ一つ、努力することで前を向いて生きてきた。他にすがれるものも、支えになるものすらなかったから。
自分の人生を不幸だと嘆いて、なにもせずに立ち止まるのは怖い。ふりかかってくる理不尽さに、負けてしまうのが怖い。せめて、努力すれば報われるはず。今は悪くても、未来はきっとよくなるはず。そう信じていなければ、心は不安に塗りつぶされ、二度と立ち上がることさえできないような気がしていた。
足を引っ張ってくるのは、どんなときでも弱気になる自分の心だった。
挫けたくない。雲母はそう思う。
番組で、優勝を掴み取ろう。弟と自分、二人の学費のために。そして同時に、思わぬことが起きるたび、挫けそうになる自分の心に、頑張れば道は拓けると証明するためにも。- 大分長くなっていますが、描写が長くなると、それだけここの心理描写の重みが増します。
-
それから読みやすい文章に直すのも大切ですが、もっと大切なことがあります。それが
「⑥意図チェック:一文ずつ、この文章はどういう意図でここにあるのか説明できるかをチェックする」です!
そうだ、ここが肝だぞ! 心してくんろ! -
投稿時代の私は……。(また始まったよ、過去語り。いやでもマジで材料がそこしかないから聞いてくれよ)
投稿時代の私は、感覚的に文章を書いてました。これ、前も書いたよね? でも大事なことなのでもう一回話します。
なんとなく場を繋ぐためだけに文章を置いていたので、この文章はどういうつもりで書いたの? と訊かれると、「えっ、なにも……考えてない……」ということがほとんどでした。 -
でもねえ、それでは駄目なんですよ。
上手い小説を読むと、適当に置いた文章なんてほぼないのが分かります。
作者が伝えようとしていることを、読者さんに最後まできちんと届けるために、様々な意図をもって一番いい場所に、一番いい文章がぴたっとハマっているのです。
(いやはやこれが、特に意図せずともセンスで最初からできちゃうって作家さんがたまにいるのが羨ましいとこなんだけどさ、一応センス一本でやってます派の人も、意図を説明できるようになっておいて損はないので、気が向いたらやってみてね) -
投稿人生も、作家人生も、まだまだこれから、という人には、推敲のときに全文の意図を自分で自分に説明する、という作業を一度でもいいから、やってみてほしいです。
例えば、「この文章は主人公の○○さ(かわいさ、真面目さ、など)を引き立てたくて入れた」とか「この文章は後ろの章の伏線として入れた」とかですね。そしてさらに、意図を説明できたら、本当にその文章はここで必要なのか? ということと、他にも必要な文章はないのか? ということを考えてみてほしいんです。 -
この作業は、はっきり言うと、死ぬほど大変です。
マジで。すまん、めっちゃ大変なんだ。
もしかすると、辛すぎて途中で嫌になるかもしれません。
頭痛くなってオエーッてなるかもしれません。
ほんと、冗談じゃなく嫌になると思う。私はなったぞ。 -
でもね~! やってほしいんだよ~!
だって確実にレベルアップする方法なんだよ~。
もし今より少しでも上手くなりたいと思われている方は、試してほしい。自分がどんな意図をもって文章を書いているかが分かるようになったら、一気に技術があがります。 -
なぜなら、どんな意図をもって書いた文章なのか自分で自覚できるようになると、今度は初稿のときから、「どういった意図で書くか」を先行して書けるようになるからです。
そうすると、雑に文章を置くことは減り、最初から意図をもって文章を配置できるようになっていきます。 - ためしに、先ほど直してみた例文の、修正箇所の意図を 少し詳しく見ていきましょうか。(上手い例文ってわけでもないから恐縮ですが……)
(俺には努力しかできることがないのに……)
- →読者さんがここから始まる長文の描写に雲母視点で入りやすいように一度モノローグを入れています。
いつも、いつでもそうだった。人生に暗雲が立ちこめるたびに、雲母はただ一つ、努力することで前を向いて生きてきた。他にすがれるものも、支えになるものすらなかったから。
- →雲母がこれまでどれほど頼れるものがなかったか、何度も逆境を経験しているか、努力を信じることの切実さをあえて「ただ一つ」や「すらなかった」などの限定的な表現で示しています。「いつも、いつでもそうだった。」「なかったから。」などのように、平易な文章に崩しを入れて、心理的揺らぎを強調しています。
自分の人生を不幸だと嘆いて、なにもせずに立ち止まるのは怖い。ふりかかってくる理不尽さに、負けてしまうのが怖い。せめて、努力すれば報われるはず。今は悪くても、未来はきっとよくなるはず。そう信じていなければ、心は不安に塗りつぶされ、二度と立ち上がることさえできないような気がしていた。
- →雲母がなぜ努力は実ると信じているのか、その理由について述べています。上の描写をさらに詳しくしている場所です。なぜそんなにも「努力」にすがってきたのか? という問いへの回答です。上とほぼ同じ内容ですが、繰り返し強調することで雲母にとっていかにこの信念が大切であるのかを読者さんに伝えています。ここも平易な文章を少し崩して、感情的な文章にしています。また、もし信念が崩れたときに雲母はどうなってしまうのか、先の展開への伏線が張ってあります。
足を引っ張ってくるのは、どんなときでも弱気になる自分の心だった。
挫けたくない。雲母はそう思う。
番組で、優勝を掴み取ろう。弟と自分、二人の学費のために。そして同時に、思わぬことが起きるたび、挫けそうになる自分の心に、頑張れば道は拓けると証明するためにも。- →雲母ですらまだ気づいていませんが、本当に大切なのは努力が実るかどうかより、自分が強くなることである、という雲母の無意識の中にある、本質的な部分を「挫けたくない」という文章でうっすらと示唆しています。この作品のテーマに符合させています。(ここはもっとはっきりと、強い自分になりたい。と書いてしまっても構いません。私は要と出会ってから「強い自分になりたい。」まで入れたほうがいいかな、と心情描写のボルテージを調整するために、あえてここでは挫けたくない、の一文で終わらせましたが、推敲段階で入れる可能性は十分あります)
-
どうでしょう、分かりますかね……?
このように、様々な効果を狙って描写していくのは、意図があるからそうしています。
これが正解というわけじゃありませんが、こんなやり方もあるよと、参考にしてみてくださいね。 -
さて、赤ペンが原稿にしっかり入ったら、反映させて、もう一度頭から読み直しましょう。そして、キャラクターやテーマについて、ブレがないか、書き漏らしがないか、逆に書きすぎていないかなどを、なるべく俯瞰で読んでいきます。
そこで気になることがあったら、また推敲作業を繰り返していきます。
正直言って、推敲作業は非常に地味だし、辛い作業です。
でもこれが最大の武器という理由は、存分に使えば、必ず小説を面白くできるからです。
特に絶対的な締め切りが決まっていない投稿時代や、まだ融通がきく新人時代には、何度でも推敲を重ねてほしいと思うのです。最初から一回読んだら終わり、誤字脱字を直したら終わり、ではなくて、もっとよりよくするにはどうしたらいいだろう? 自分の本当に書きたいことは書けているだろうか? と、自問自答しながら直す経験を積んでいってほしいなと願っています。それは必ず、あなたの基礎になる! と、私めは信じているからなのです。 -
プロになって何年も経ってから、推敲を何度も何度もやるのは、あまり現実的ではありません。
締め切りがしっかり決まっていて、時間がないことのほうが多いですし、それだけの胆力もなかったりします。予定が詰まっている作家さんだと、どうしても一作にかけられる時間が限られます。満足いくまで直しきる前に、提出しなければならない、ということもままあります。
何度でも推敲できる時間があるうちに、推敲という、小説家最大の武器を、己の手に馴染むように磨いてほしいと思います。どんなに素晴らしい武器でも、磨かなければなまくらのまま、切れるものも切れませんからね! -
ふう。まあ推敲については大体こんな感じなんですが。
私の場合、「③違和感チェック」は初稿段階でやるので飛ばすと書きましたが、実は「⑩繰り返し」も飛ばしています。ここは担当編集さんに委ねているからです。 - 同じように担当さんがいて、言われたことは全部受け止めるタイプの作家さんは、⑩を担当さんに任せ、改稿指示がきたらそれを反映させていく、必要ならそのときに、また③~⑨を繰り返す、というスタイルでもいいと思います。
推敲は我々作家の最大にして、最後の武器
-
よおし、ここで一つ、私の大好きな小説作法本から、みなさんにご紹介したい言葉をいくつか引用させていただきますね。
その本は中島梓先生(故・栗本薫先生の別名義です)のご著作、『新版 小説道場』(天狼プロダクション)の一巻からの抜粋です。引用元がページ数ではなく、第○回表記なのは、電子書籍からの引用なためです、すみません。
とにかくすげえ金言ばかりだから、眼、見開いてしっかり読んでくだされ! 人は自分の小説しか書けない。それが悲しくもあり、素晴らしくもあるのだ。
だからこそ人まねをしてはいけない。自分のことばでつたなく語る方が、人のことばでたくみに語る人よりえらい。(中略)大きな小説を書くためには、小さな自分が大きくなるほかない。 (新版・小説道場1 第六回)思いつきでモノを書くなよ。(中略)
大体、「書く」ということをみんなもっと重大に考えなさいよ。書きちらしたものと、書きあげたものを一緒くたにしないの。よいか、たしかにプロ作家の中にゃただやたら垂れ流しみたいに書きちらしてる人もいるけどね、かれらはすでに認められてるでしょ(中略)しかし諸君は出す一作一作が、これから「認められるかどうか」のステップなのよ。それを考えたら、少しでもよいものを書かなくちゃならんわけよ。 (新版・小説道場1 第二回)小説は一つの強烈なイメージでたしかに成立しうるが、あとそれを「いい小説」にするのは、いかにしてそういうイメージの土台、というか外堀を、一つ一つ埋めてゆくかのたんねんさだ。隅々まで手をぬいてはいけない。 (新版・小説道場1 第三回)
(投稿の)作品をみていて、いちばん感じることは、ひとことで云って「ドラマチックでなさ」である。というと少々、漠然とするけれども、感動のなさ、と云ってもよい。これは、読者が感動する、しないではない。(中略)
そうではなく、書いている本人にとっての「感動のなさ」が問題なのだ。云いかえるなら、「どうしてもこれを書くんだという内的衝動」のつよさ、と云ってもよい。 (新版・小説道場1 第四回)いちばんのホントの近道は、正面から正道をゆく、つまり「この話を書きたい」「この主人公を書きたい、動かしたい」「このシーンはすごく――だから(エロだから、カッコイイから、珍しいから、アホだから、云々)書きたい」という欲望のあるときに書くことです。 (新版・小説道場1 第四回)
-
うううーどれも金言!! 痺れるぜぇ……。
すべて投稿時代の私が、蛍光ペンでマーカー引いたところばかりです。他にも紹介したい金言が溢れに溢れていますが、全部書いてると文庫一冊分になっちゃうのでこのへんで。
ご興味の湧いた方は、『小説道場』で調べてみてください。今より三十年ほど前に書かれたものですが、内容はまったく古びていません。小説を書くうえでの大切なことが、たくさん詰まっている本です。あと、単純に読み物としても面白いですよ。 -
中島梓先生がこのご著作の中で何度も仰ってることがありまして、それこそが、「なにが書きたいのか」ということです。
私もね、やっぱりそれが一番大事だなあと思うんですよ。
だから今回の推敲編でも、しつこく書きたいものがなにか探してほしい、それを軸に直してほしいとお伝えしました。
まずそれを見極められることが、推敲を武器たらしめる初めの一歩だと思います。 -
それにしても久しぶりにこのご本を取り出して、マーカー引いてあるところを読んだら、思わず泣いちゃったよ。
私自身にもあえて伝えたい。
おい美沙緒、適当に書くんじゃないよ! 最近ちょっと適当に書いてたろ!(ぎくり)大事に書くんだよ! 小説ってのはさ……小説ってのはさ……雑に書いていいもんじゃないんだ、大切に大切に書いて世の中に送り出すものなんだよ……。 -
推敲を完全に終えて、書き上げた作品が世の中に出ていくとしましょう。
もしそれが書籍化のような形で、市場に乗れば、たくさんの見知らぬ読者さんの手に渡っていきますよね。
あるいは投稿作品だとしても、どこかに応募すれば、それは見知らぬ編集さんの手にするところとなります。
このとき、作品はもう作家のものだけではありません。読者さんや編集さんが好きなように解釈し、愛してもらえることもあれば、捨て置かれることもあります。
よく、「産みの苦しみ」など、作品を我が子のように例えることがありますが、シチュエーション的には近いな、と思います。 -
子どもが自立して家を出て行ったら、親としては基本的に、見守ることしかできません。
だからこそ自立する前に、世の中の荒波に揉まれても生き抜いていけるよう、様々なことを伝えてあげよう、生きる手段を持たせてあげようとするのが、一般的な親御さんの心情ではないかと想像します。(なんらかの思想を話しているわけではないですよ。単なる例えです) -
小説家も、自分の作品が世に出る直前までしか、その作品のために手を尽くすことはできません。
世間に顧みられたとき、できるだけ良いものとして受け取ってもらいたい。その最後の準備が推敲なんです。
いわば自立して旅立つ我が子の身なりを、その志をくんで、最大限整えてあげられる仕上げの場所。作品へのはなむけの作業でもあります。
作品が旅立ってしまえば、その作品に向き合い、登場人物たちと対話し、ともに過ごしてきた蜜月は終わってしまいます。
この世界でただ一つしかない、その作品と二人きりで過ごすことは、もう二度とありません。
推敲は我々の最大にして、最後の武器なのです。 -
愛する作品との蜜月をたっぷりと過ごしてください。心ゆくまでその小説と向き合い、隅々まで手を入れましょう。それが終わったら次は……。
終わりです笑。
作品作りは完了です。お疲れ様でしたーーー!!(拍手ッ) -
おい、あと四回も残ってるのに終わりか!?
と思われた方、安心してください。私もそう思ってます。(雑に書くなって言ったそばから!?) -
というわけで次回は、うーん。今まで書いたことの中に、いくつか取りこぼしがあるので、そこについて書こうかなと思っています。
乞うご期待!
ではまた次回、お会いしましょう~!
- 1
2