
2023.03.16 とりこぼした諸々を、ここらで一つ愚痴ってみよう
視点変更を拾う『読者さんに伝える情報をコントロールする』
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それから、情報開示についても少し書いてみようと思います。
小説の基礎的な情報開示の考え方として、「読者さえ分かっていればそれでいい」というものがあることを、覚えておくといいかもしれません。 -
たとえば先の例文の場合、雲母が要の気持ちを正しく理解する必要はまだありません。
読者さえ、「要は雲母に拒絶されてショックを受けている。なぜなら要は、雲母を理解したいからだ」と分かればいいのです。 - その点からいくと、登場人物の誰かが分かっていなくても、読者が分かるように書いた説明は、何度も繰り返して書く必要はありません。
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例えば、主人公が陥っている困った状況について描写したあとに、誰かにその状況を説明し、相談するシーンがあったとします。
ここでわざわざ、その状況について、再び詳しく書く必要はないのです。
読者はもう知っているのですから、なにを相手に話したのか、なにを話さなかったのかだけ書けばいいわけです。 -
例を出してみましょう。
パンダくんが「お母さんに頼まれてカレーの材料を買いに来たが、じゃがいもだけ、どの店に行っても買えなくて困っている」という状況を書いたあとで、たまたま出くわしたお猿くんにパンダくんが困りごとを相談したとして、「お母さんにニンジンとタマネギとじゃがいもを買ってきてって言われてまずAスーパーに行ってニンジンとタマネギは買えたけどジャガイモがなくて、だからBスーパーに行って……」などとは書かなくてよいのです。 パンダくんはお猿くんに、どのスーパーに行ってもジャガイモがなくて困っていることを話した。ただし、お母さんに頼まれた買い物だとは伝えなかった。
- こんな感じですかね。お母さんに頼まれたっていうのは重大事じゃないのでわざわざ書かなくてもいいんですが、小説だと重大だけどあえて伝えなかったこと、みたいなのが出てくるので、それはこんなふうに書いとけば読者さんは分かってくれますよ、という例文です。
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それから、膨大な情報量を開示する場合、どのような順番でどう書くか、というのは大変難しい課題です。
そのへんは、エピソードの進み具合と照らし合わせて、ここでこの情報が出てないとこういう展開にはできないな、とか、この展開がここにくるなら、その前にもうこの情報は最低限知っているはず、などのように構成を考えながら選んでいくしかないかなあと思います。難しいぜ。 - またしても張り切って宣伝しますが(いい加減にしろ)今月二十八日発売予定の『王を統べる運命の子』(徳間書店)という小説がありまして……。へへ、すみませんねえ、毎度毎度宣伝を……。
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この本、全四巻なのですが。
全巻にわたって様々な謎が出てきてはそれを解き明かし、一つ謎が解けるとまた謎が出てくる、という構成なのですけれども、最も膨大な情報量を処理しなければならなかったのは、四巻のうち三巻めです。
なのでよかったら三巻だけでも、読んでいただければ、と思います。(強欲なので宣伝できるときにはすぐやる) -
以前私は、第三回の本文執筆編で、説明が多すぎると退屈するから説明を描写に変えようね、と書いたと思います。
しかし、説明がマジのマジで多すぎて描写しているととんでもない長さになってしまう場合は、描写+会話+説明という方法で乗り切ります。
これが、『王を統べる運命の子』三巻でやっている情報処理の仕方です。(四巻でもやってはいるんですけどね) -
なかなか言語化が難しいんですが、まずこれから膨大な量の情報を開示し、それを整理します、という場面になりましたら、その直前に一度主人公の心理描写を区切ります。
今主人公はこういう心の状態だよ、というのを書いてから、「でも今はこの情報に集中しよう」「このことはしばらく考えない」と、一旦心情を棚上げしてもらうのです。
そうすると、どんなにもやもやしている心情も休止になり、眼の前の情報に読者さんが集中できます。 -
そこからはAという情報が出ました、それについてキャラたちが考えをしゃべる、主人公はAについてこう思った。
次はBという情報が出ます、キャラたちが考えをしゃべる、主人公はBについてこう思った。 -
これの繰り返しです。
あと、複雑な説明が多いときは一文ごとに改行すること。
文章が長々続いているだけでも、読者さんは難しく感じますから、難しいものを扱うときはあえて短く切っていくと読みやすくなります。 - また、膨大な説明の中で、特にこれだけは覚えておいてほしいというものがあれば、主人公がセリフとして考えたことを述べたり、心の中で繰り返したり、あるいは地の文での繰り返しも効きます。
お猿くんは言った。
「じゃがいもはこの時期にはどの店にも売ってないんだ」
――じゃがいもはこの時期にはどの店にも売ってない?
パンダくんは驚いた。
「じゃがいもって、この時期どこにも売ってないの?」- はい、じゃがいもはこの時期にはどの店にも売ってない、という情報が重要だった場合の書き方です。いやでも覚えちゃいますよね。
- 情報開示の書き方は、実はミステリーとかのほうが上手いんです。なので、私の本も読んでほしいですが!!(超正直者) ミステリーだとどのように処理してあるか、読んでみてもいいと思います。
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ただ一つ注意点は、膨大な情報量のときはこのように感情描写を恋愛やそのお話のテーマから切り離して書いたほうがいいけれど、一つか二つの情報開示のときは、むしろそのとき抱えている心理状態や、お話のテーマにからめて出したほうがいい、という違いがあることです。
BLは恋愛小説なので、基本的にはどんなことも恋愛を通して書いたほうが親切設計なわけです。
下調べを拾う『執筆資料、何を読む?』
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あえてあまり触れなかった、資料の扱いについても触れてみますね。
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第三回で下調べは事前にしてほしい、とお伝えしましたが、そのときに資料にあたる癖もつけてほしいなあ、と書きました。
プロを目指していない方は、特に気にしなくても大丈夫です。でももし、商業作家でずっとやっていきたい方がいらっしゃれば、頭の片隅に置いておいてくだされば嬉しいです。 -
資料を扱えると、書ける話の幅が広がります。自分の知っていることだけで書こうとすると、どうしてもいつかは限界がきますが、資料にあたって、そこから世界を広げられれば、書ける題材は無限と言ってもいいでしょう。
言うて、難しいんだけどさあ。
私もいまだ無限感を味わったことはないんだけどさあ……。 -
えー、これはあくまで私のやり方ですが、一応お伝えしてみます。
私が資料にあたるときの順番は、まず第一に公式的に世に出ている本や記事、映画などから。
化粧品業界を舞台にしたい! と思ったら、その業界の仕組みについて書かれた本とか、そういう感じですね。これは、書きたい題材の大枠をざっくりと知るためにあたります。 - 次にその題材の当事者。たとえば、なにかの事件ならその事件の加害者や被害者。音楽家を書くなら実際に音楽活動をされている方。さっき書いたように化粧品業界を書くなら、そこで働かれている方。
そうした方々の書いている手記、ブログ、SNS、インタビュー記事などにあたります。 -
最初にあたった資料がざっくりと知るためだとしたら、第二の資料にあたるときに気をつけて追うのは、当事者や関係者の心の動きです。
なにを思っているのか、なにを感じているのか。
ここを中心に追います。なぜかというと、題材の当事者や関係者の方々の感情こそ、実際に起きた事実以上に生々しくリアリティがあり、その感情を自分の中に落とし込んで咀嚼すれば、小説に深みを与えることができるからです。 -
小説の登場人物は資料に登場する人たちと同一ではありません。だから、似たような状況になっても感じることは違うでしょう。
そのため、資料にあたって自分の中に落とし込んだことを、キャラクターたちならどう感じるだろうかと想像して書いていきます。ちょっとしたことですけど、行ったことのない街、出会ったことのない人、手にしたこともない道具。
それらを読者が身近に感じるようにどうすればいいのかというと、案外、こうした工夫の積み重ねではないか、と私は思っています。
執筆技法を拾う『カットバックの使い方』
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あとですね~、そうね~、カットバックの使い方についても、ちょっと触れてみましょうか。
カットバックとは、小説の中で途中、現在から過去に時間を巻き戻して書くやり方です。ようは過去回想ですね。 -
基本的にカットバックは、長編一冊のうち、一回までと覚えておいて損はないかと思います。
なぜか?
いや、私もやたらカットバックを使った小説を書いたことはあるんですが、端的に言ってカットバックが多いと読みにくいんですね。読者さんを混乱させてしまうんです。 - だからカットバックは原則一回! 一回で大事なところをさらったら、あとはもう現在軸だけで話を進める!
- わしゃあ、めちゃくちゃ小説が上手すぎて困ったわい、この能力<チカラ>を使い切れる猛者はどこぞにおる! このままわしのチカラを使い切れずに死んでいくというのか……!
- と、いうお方は、ぜひカットバック多用小説を書いてほしいですが、そうでもない場合は一回くらいでおさめておいたほうが、読み手には親切かなと思います。
執筆技法を拾う『場面転換の仕方』
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ところでですね、ネット小説だとページごとに区切れるので、あまり意識されておらんのではないか、と私め、勝手に邪推していることがあります。
それは、場面転換の仕方です。 - ネット上で読む小説だと、物理的にページが変わるため、「ここで区切る必要があるから」区切っているわけではなく、大体の文字数とか、これ以上ページが長いと読みにくいから、という理由で次のページにいっている場合もあるのかなと。
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べつにネット上で読んでもらうぶんにはそれで構いません。ただ、商業誌だとちょっと話が変わってきます。
場面を転換するときには、転換する理由が必要です。 -
一つは時間経過。
前のシーンからある程度時間が経っている場合。 -
もう一つは状況変化。
前のシーンから状況(場所も含む)が変わっている場合。 -
それから、大きな感情描写(もしくは大事件)のあとです。
重大な感情描写(もしくは大事件)のあとに、さらにシーンを足すとせっかくの感情描写の印象が薄れるため、あえて切り換える場合です。 -
たとえば本になったとき、これらの切り換えは次からべつの章になる、という印象ですよね。
そのため、切り換え前がその章の終わりですから、そこは余韻を残さないとなりません。場面を切り換える(章を変える)ときは、文章の末尾に余韻を残せるよう、工夫してみてくださると、より魅力的な小説になると思います。
言葉について考え続ける
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うむ、まあ大体話したかなあと思うのですが、そうだねえ。
ほんっっとーーーーーーにどうでもいいこと、話していい?(いいよーと言って、いいよーと) -
これはみなさんにこうしてほしいとか、こうするとよいですよとか、そういう話ではなくて、私が普段言葉というものについてしょっちゅう考えこんでいるという話なのですが。
先日読んでいた文章に、こんなものがありまして。特定を避けるために、少し脚色を加えてお伝えしますね。 その堅牢さに驚いた
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べつにおかしい文章ではないんですけど、私はうーん、なんか違和感だなあ、と思ってしまったんです。
どうして違和感を感じているのか、分析してみたところ、「堅牢」という言葉に対して、「~さ」という接尾辞がですね、軽すぎる、という感覚でした。
たとえば、「重厚さに驚いた」も、私の中ではぎくしゃく感がある。
けれども「そのしなやかさに驚いた」「その美しさに驚いた」「その華やかさに驚いた」はまあ、いいんじゃない? と思う。
じゃあ二字熟語でも、接尾辞の軽さと同程度の軽さならばおかしくないのか。
「その華麗さに驚いた」「その軽薄さに驚いた」……うーんやっぱり、二字熟語に「~さ」の接尾辞はあまりリズムがよろしくない。
なるほど、「しなやかさ」とかならいいのね。
でも待てよ、「そのしなやかさを感じた」はどうだ? なんか微妙。
「そのしなやかさを、頼もしく感じた」ならオッケーな気がする。動詞が「感じた」のときは形容詞を挟まねばならないのだろうか?
いや、「AはBの生き方に、しなやかさを感じた」ならべつに気にならないわねえ! となると「その」の指示語が問題かしら!?
などなど……。
私は普段から、もうずっとこんなことばっかり考えておるのですよ。 -
他にも、大分前から悩んでいるのは、「ずいぶん」という言葉の使い方です。
「ずいぶん遠くから来た」「~しはじめてずいぶん経った」
べつにおかしな文章ではないのですが、「ずいぶん」には、「かなり」などに比べると主観的な感情が入っている気がするのです。(これはあくまで主観ですから、聞き流しオッケーです)
なので、ここに感情は入れたくないな、というところにはずいぶんを使わないようにしてみたり、地の文からは排除してセリフやモノローグにだけ使ってみたり……いろいろ、自分のしっくりくる使いどころを探しているところです。 -
よく、語彙力を伸ばすにはどうしたらいいですか、とご質問いただきます。
それはもうはっきり言えば本を読むしかない、と思いますが、こんなふうに細かく語彙について考えてみるのも大事かなあと。
言葉って使われているうちにいろんなイメージが付随していたり、文法的には間違っていないけれどもリズムがよくないとか、文法的には間違っているけれどこの場では的確、とか、いろいろな側面がありますから。 -
ふむ。今回も書いた書いた。
ちょっといろいろ、細かい、うるさいことをぐちぐち申し上げましたが、小説ってそういうものだから許してくんなせい。なにかの役に立てれば幸いでござる。
次回はね、もう大体書くことは書いたので、「一冊の小説がこの世に出るまで」という過程を追うエッセイ風に書いてみようかと思います。
ぜひ読んでくれよな。ではまた次回、お会いしましょう~!
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